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名古屋高等裁判所 昭和23年(控)1940号 判決

控訴人 被告人 三輪憲二 外三名

検察官 若林虎之助関與

主文

被告人三輪憲二を懲役四月に、被告人竹内春美、同滝下定美、同天池靖を各懲役弍月に処する。

但し、本裁判確定の日から、被告人三輪憲二に対しては、参年間、被告人竹内春美、同滝下定美、同天池靖に対しては夫々弍年間、右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人等の連帶負担とする。

理由

被告人三輪憲二は、昭和十七年二月本籍地の国民学校高等科を修了し、同年四月国鉄名古屋鉄道局高山機関区庫内手となり、昭和十九年三月機関助士見習を命ぜられ、同年六月機関助士となつたもの

被告人竹内春美は、昭和十九年三月本籍地の国民学校高等科を修了し、同年四月同機関区庫内手となり、昭和二十年二月機関助士見習を命ぜられ、昭和二十二年十二月機関助士となつたもの

被告人滝下定美は、昭和十九年三月本籍地の国民学校高等科を修了し、同年四月同機関区庫内手となり、同年十一月機関助士見習を命ぜられ、昭和二十年三月機関助士となつたもの

被告人天池靖は、昭和十九年三月本籍地の国民学校高等科を修了し、同年四月同機関区庫内手となり、昭和二十年三月機関助士見習を命ぜられ、昭和二十二年二月機関助士となつたものであるが

孰れも国鉄高山線の列車に乘務し、主として機関車の火を焚いたりして、列車の運行に関與することを業務とする公務員であつて、国鉄労働組合名古屋支部高山運轉分会に加入し、その労働運動に参加していた者であるが、昭和二十三年八月三十一日午前中、高山市昭和町一丁目国鉄高山機関区青年寮に於て、北海道並に松本方面の職場を離脱して來た鉄道從業員から、昭和二十三年七月三十一日政令第二百一号の制定や國家公務員法の改正による公務員の団体交渉権及び同盟罷業権の剥奪に対する反対闘爭のため、その爭議手段として、職場を放棄するよう勧説されて、これに附和雷同し、監督者である前記高山機関区長の許可を受けないで、被告人三輪憲二は、昭和二十三年八月三十一日十二時二十五分高山発八六四列車に乘務し、被告人滝下定美は、同日十五時一分高山発八六一列車に乘務し、被告人天池靖は、同日八時から勤務して訓錬を受け、被告人竹内春美は翌九月一日八時から点火番として勤務しなければならなかつたにも拘わず、加藤諭外七名の機関助士と共謀の上、同年八月三十一日十一時十四分高山発岐阜行列車で高山を出発して、各自の職場を離脱し、同年九月二日国有鉄道懲戒規程により各その職を免ぜられるまで、国有鉄道の運輸業務の運営能率を阻害する爭議手段をとつたものである。

証拠を案ずるに、判示事実は

一、被告人三輪憲二の当公廷に於ける、判示高山発八六四列車に乘務する義務のあつたこと並に判示業務の運営能率を阻害した点を除き、判示関係部分に付、判示同旨の供述

一、被告人竹内春美、同滝下定美、同天池靖の当公廷に於ける、判示のような原因による闘爭手段として職場離脱するについて、深い考慮を拂わずに漫然と附和雷同したと陳述する外、判示業務の運営能率を阻害した点を除き、判示関係部分に付、判示同旨の各供述

一、被告人三輪憲二に対する司法警察官の第一回訊問調書中、私は高山機関区の機関助士として勤めて居りましたが、昭和二十三年八月初頃、公務員の労働運動に大きな制限を加える政令が出て、非常に不満に思つて居りましたので、同年八月三十一日午後零時三十分頃発金山行貨物列車に乘務するようになつて居りましたが、右政令に反対し、職場を放棄する目的で、同じ機関助士十一名と共に、同日午前十一時十四分発岐阜行列車で職場を逃げ出しました。職場放棄をした動機を申し上げますと、八月三十一日の朝九時半か十時頃、青年寮に帰つて見ると、二階で騒々しい話声がして居りますので、行つて見ると、北海道方面から職場放棄して來たものが四人位來て居て、機関助士四十名位を前にして、盛に政令反対の話をして居り最早われわれは、最後の手段あるのみと言つて居りました。私も最後の手段と言うのは、職場放棄することであると思いましたが、この四人の話を聞いたり、私達も意見を出して、互に論議を重ね、機関助士の大部分の者は、自分達も職場を放棄して、この政令に反対しようと言う意見に傾きました。そこで私も前に申しました通りこの政令には不満を持つて居りましたので「よし俺も行くぞ」と言つて着のみ着のままで飛び出しました。そして私達が職場放棄すると、鉄道の方に少し位は影響があるのは当然ですが、他に大勢居るのですからそう大したことはないと思いましたとの旨の併述記載

一、当審証人廣瀬道雄に対する受命判事の尋問調書中、私は昭和二十一年十二月一日から名古屋鉄道局高山機関区長を命ぜられ、今日に至つて居ります。昭和二十三年八月三十一日高山機関区の機関助士十二名が、監督者である私の諒解もなく、職場を離れたことがあります。そのため、普通の業務の運営方法では、支障が生じるので、次のように臨時の措置をとりました。即ち、高山機関区には、機関助士が定員七十名のところ、実人員七十八名居りましたので、十二名職場を離れたため、定員より四名不足することになりました。そこで從來定員超過の八名に有給休暇を與えていたのを、やめさせ、機関士見習に機関助士の代行をさせ、更に從來一仕事に四噸以上石炭を焚くときは、機関助士が二名乘車することになつて居り、その一人を補助者と謂いますがその補助者の定員十三名を九名に減じました。以上のように、色々とやりくりして、現実には支障のないように致しました。機関助士には、予備員があり、これは他の機関助士が病氣や有給休暇で休みますとき、その代りとして、機関助士の仕事をする者でありまして、いつも予備員の交番表を一仕業毎に作り、乘車二日前にこれを予備員に知らせることになつて居りますが、予定した仕事に変更を生じた場合には、当日の運轉助役から本人に対し通知することになつて居ります。その通知は、本人に直接口頭でできれば、それでよいのですが、口頭通知ができないときは、小使に通知書を持たせて通知することにし、乘務時間の正確を期するため、通知書を受けた予備員の押印を求めます。しかしその押印は通知の確実を期する趣旨のものに過ぎませんから、予備員の押印のあるなしによつて乘務の義務に影響を來たすことはありません。被告人の中三輪憲二は、予備員でありまして、同人に対し、八月三十一日十二時二十五分八六四列車に乘務するよう通知書を出しましたが、三輪の所在が判らず通知ができませんでした。同人は、その前日八月三十日から探し求められていたのですが所在が判らなかつたのです。予備員は、何時でも呼出に応じられるように待期して居なければならないもので無断で職場を離れてはならないものですとの旨の供述記載

一、当審証人吉野幸雄に対する受命判事の尋問調書中、私は名古屋鉄道局高山機関区の機関士ですが、高山機関区から十二名の機関助士が職場を離脱しましたが、その人達は、政令第二〇一号が出て、労働者の団体交渉権や同盟罷業権が剥奪されたところえ、やがて国家公務員法が同じような規定に改正されようとしたので、その反対闘爭のために職場離脱したものと思います。右の十二名は、前から反対闘爭をして居りましたところ、北海道や松本から職場を放棄して來た同業者が話をしてそれに共鳴し、俄に離脱したものと思います。右離脱のため、列車の運行には支障はありませんでしたが、支障のないようにするため、相当苦しいやりくりをしたことと思いますとの旨の供述記載

一、被告人滝下定美に対する司法警察官の訊問調書中、昭和二十三年八月三十一日朝、北海道と松本から來た職場離脱者十一人位と高山機関区の機関士二人、機関助士十五六人と座談会を開きました。そして北海道や松本の離脱者から職場を放棄して來た理由などを開き、私共の意見が一致し、私共は北海道や松本の者を見殺しにするなと云つて立ち上つたのであります。そして誰が云い出すともなく職場放棄することに意見がまとまりました。しかし、全員が離脱すると事は大げさになるし、進駐軍の列車位は動かさねばならないから、その日行くと云う者が集つたところ、十二人ありましたとの旨の供述載

を綜合して、之を認める。

被告人等及び弁護人は、本件公訴の根拠となつた政令第二〇一号は、憲法その他の法令に違反する無効のものであると主張するにつき、この点につき判断する。

政令第二〇一号は、昭和二十年九月二十日勅令第五四二号ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(以下ポツダム勅令と略称する)に基き、発せられたもので、ポツダム勅令が旧憲法下に於ては勿論、新憲法下に於ても法律と同一の効力を有する有効な命令であることは、曩に最高裁判所の判例(昭和二十三年六月二十三日大法廷判決)の示すところである。よつて政令第二〇一号がポツダム勅令に規定する要件に欠くことがなく、新憲法第二八條に違反しないことを明かにする。

ポツダム勅令に基いて政令その他の命令を制定するには、同勅令に規定するように、連合国最高司令官の爲す要求に係る事項を実施するため、特に必要な場合でなければならないが、連合国最高司令官の要求は、特別に一定の形式を以て爲されることを要件としているものでなく、同司令官の表示した意思の解釈によつて、要求であるか否かを定めるべきである。而して要求か否かの最終的有権的解釈権は、同司令官に専属するものであつて、政令第二〇一号を制定するに当り、政府は、同司令官の要求に基くものであるか否かを確めた上、制定したもので、このことは昭和二十三年八月三日渉外局特別発表を以て公表された総司令部公務員課長フーヴアー氏の談話要旨によつて明かである。それによると「日本政府とその使用者との間に急速に悪化している情勢の下において一種の秩序を回復するためマ元帥はやむなく仲裁に入らなければならなかつた。政府使用者は、八月七日を期してストライキを宣言したが、かかるストライキは、日本の困窮した現状にあつては、國民の大多数に飢餓と災害とをもたらさずにはおかないものがある。七月二十二日マ元帥が芦田首相にあてた書簡にみえる意図とこれに基いて公布された政令は、政府と公務員との関係を完全に米国の政策と慣行とに一致させることを目的としたものである」とあることにより、マ書簡が要求であることが明かで、極東委員会のシーボルト議長の発言は、勧告と云う語が使用されているが、その発言の全趣旨を精読すれば、却つてマ書簡は、要求であつて政令第二〇一号が右要求に基き制定されたものであることが裏付けられる。而して政令第二〇一号制定当時に於ては、全官公の八・七ストによる国民大衆の飢餓と災害とを防止することが緊急の問題となつていたので、國会の審議を経る余裕がなく、ポツダム勅令に所謂特に必要ある場合の要件に該当していたのである。

次にマ書簡に於ては、公務員について、現業非現業の区別を認めているが、この明確な区別は、それ等の政府事業がマ書簡の所謂公共企業体に組織された後に採用されるべきであつて、それまでは、暫定的措置として、從來通り、それ等の政府事業に從事する者に対し、一般の公務員と同様の取扱をすることはやむを得ないところであると解される。政令第二〇一号は、改正公務員法、公共企業体に関する各種の法律が成立するまでの暫定措置であるから、現業員たる公務員については、マ書簡は、要求たるの性質を帶びなないと論ずることは正当でない。

而して憲法第二八條が勤労者の罷業権、団体交渉権、爭議権を保障し、公務員が同條の勤労者に包含されることは疑のないところであるが右の権利は、絶対無制限の権利であると断定することはできない。この権利は、身体、思想良心、学問、信教の自由等の所謂天賦の基本的人権で、国家の干渉を許さないものと異り、所謂社会的人権として、国家を前提として、これに依存するものであるから、国家の存立を危くしたり又は国家目的に反するような程度のものまで、認めるわけには行かない。それ故、国民大多数の共通の利益としての公共の福祉に反してまで、絶対無制限にその権利を主張することができないのである。特に公務員は国家機関の構成者で、国民全体の奉仕者であつて一部の奉仕者であつてはならない。公務員は、全体の奉仕者として、国民の一部に過ぎない労働組合や公務員のためにのみ行動することは許されないところであつて、公共の信託に対し国民大衆のため、無條件の忠誠の義務を負うものである。その爭議行爲は、公共の福祉に違反し、憲法の規定する公務員の基本的な性格に反するものである。それ故、国民大衆が要求する公共の福祉によつて、憲法第二八條の規定する公務員の団体交渉権、爭議権等を制限することは、許さるべきことであると云わねばならない。從つて、政令第二〇一号は、前記のように公共の福祉に反するものと考えられた所謂八・七ストを回避すると共に公務員の爭議行爲を防止するために改正国家公務員法又は公共企業体労働関係法が成立公布されるまでの暫定措置として制定せられたもので、やむを得ない緊急措置であり、且つ法律と同一の効力を有するもので、憲法並にポツダム宣言に違反しない有効のものである。この点に反する弁護人並に被告人等の主張は、全く理由がない。

次に被告人等並に弁護人は、被告人等が職場を離れたのは、国家公務員法改悪反対、政令第二〇一号反対闘爭のためであつて、労働者の待遇改善その他労働條件の改善要求のためのものでないから、政令第二〇一号に所謂爭議手段でなく、又業務の運営能率を阻害しなかつたと主張するにつき、この点を案ずるに、政令第二〇一号第二條に所謂業務の運営能率を阻害する爭議手段とは、その企図するところが、労働條件の改善たると將又国家機関又は地方公共団体に対する何等かの紛爭に於ける労働者側の主張たるとを問わず、その主張を意味することを目的として爲す闘爭手段は、すべて爭議手段と解さねばならない。なお被告人等の所爲は、判示認定のように、十数名の機関助士が政府に対する闘爭手段として集団職場放棄をしたものであつて、そのため他の職場に属する職員の応援や残留者の超過勤務をやむなくさせたものであるから、明かに業務の運営能率を阻害する爭議手段をしたものと解すべく、論旨は理由がない。

弁護人は、国鉄職員については、日本国有鉄道法(昭和二十三年法律第二五六号)第三四條第三五條により、国家公務員法は適用されず、その労働関係については、公共企業体労働関係法(昭和二十三年法律第二五七号が適用され、これによると爭議行爲の禁止規定はあるが、罰則がなく(同法第十七條第十八條)、而して右両法律は、昭和二十四年六月一日から施行(昭和二十四年法律第八三号公共企業体労働関係法の施行に関する法律、昭和二十四年法律第一〇五号日本国有鉄道法施行法)されているから、裁判所に於ては、政令第二〇一号は廃止されたことになる。それ故被告人等に対しては、犯罪後刑の廃止があつたものとして免訴の判決があるべきものであると主張する。

よつて案ずるに、昭和二十四年六月一日から日本国有鉄道法並に公共企業体労働関係法が施行せられ、国鉄職員に対しては、爭議行爲は禁止されているが、これが違反に対しては、刑罰が科せられないことは、所論の通りであるが、政令第二〇一号は、暫定的のもので法律と同一の効力があることは前記説明の通りで、その附則に規定してある如く、昭和二十三年七月二十二日附マ書簡に基き、当時全官公が八・七ストを宣言し、事態極めて緊迫していたので、これを未然に防止し、国民大衆を飢餓と災害から救うため、国家公務員法の改正及び公共企業体に関する諸法律の制定されるまで、暫定的応急的措置として制定せられたものであつて、当初から廃止又は変更されることが予想せられ、而も事犯があつたときは、即時にこれを処罰し、以てその趣旨を達成すべきものであるから、所謂限時法に該当し、裁判進行中に変更廃止されても、その本來の目的とするところは、行爲時法を適用すべきものであつて、刑法第六條又は旧刑事訴訟法第三六三條第二号(新刑事訴訟法第三三七條第二号)の適用がないものである(昭和十五年(れ)第二三一号同年七月十八日大審院判決参照)。国家公務員法第一次改正法律附則第八條には、この趣旨が明文を以て規定してあるがこの規定は、注意的規定である。公共企業体労働関係法には、この趣旨の規定がないが、当然同趣旨に解すべきもので、論旨は理由がない。法律に照すに、被告人等の判示所爲は、昭和二十三年七月三十一日政令第二百一号第二條第一項第三條刑法第六十條に該当するので、所定刑中、懲役刑を選択し、その刑規範囲内で、被告人三輪憲二を懲役四月に、被告人竹内春美、同滝下定美、同天池靖を各懲役二月に処するが、情状刑の執行を猶予するを相当と認め、刑法第二十五條に則り、本裁判確定の日から、被告人三輪憲二に対しては三年間、被告人竹内春美、同滝下定美、同天池靖に対しては各二年間、右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法施行法第二條、旧刑事訴訟法第二百三十七條第二百三十八條を適用し、全部被告人等の連帶負担とする。

よつて、主文の通り判決する。

(裁判長判事 堀内齊 判事 鈴木正路 判事 赤間鎭雄)

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